人生は摩訶不思議アドベンチャー!

書き綴りたいことがあったら更新するブログです。その時に興味あることメインなので子育て、仕事の話がほとんど、の予定です。

ブスを知るからブスを語る

先日、親友たちと語らっていたとき、「あー」と思った話があったので忘れぬうちに、私の中のメモみたいな感じで書き綴ります。

近況やら今後の展望やら色んな話で盛り上がっているときに、親友の鳥山真翔くんが、ぽろっと言ったんです。
「愛ちゃんはブスを知ってるからブスが語れるのよね」と。

私はこの言葉にすごく共感しました。


もともとの私の背景はこのインタビュー記事を見てもらいたいのですが

 

 

an-life.jp
ざっくりいうと、起業の経緯は外見のコンプレックスでした。
小学校の頃は身長が平均より大きかったり、顔立ちが大人びていたこともあって、よくからかわれていました。

 

中学はそのコンプレックスを引きずったのと、アニメやゲームの世界にどっぷりつかり、黒い服をいつも着てました。


高校はそんな自分が嫌で、何か一つでいいから一生懸命頑張る自分に出会いたくて、剣道のスポーツ推薦で私立のスポーツ強豪校に入りました。

 

結果的に生活が180度変わって体育会系の環境に揉まれまくり、根暗だった性格が矯正されました。

高校時代の剣道部は「一生懸命頑張る自分と出会う」なんてキラキラした言葉が打ち消されるほど過酷。
骨折しても吐いても稽古続けさせられるエグイ環境で、熱なんて出そうものなら健康管理が甘いと叱れ、先輩の逆鱗に触れると何時間も正座させられる。
朝8時には登校して道場の雑巾がけ。夜は22時まで帰れないのに、学校から家までの通学時間1時間弱。

明日隕石が落ちて地球が滅亡すればいい。そうしたら部活に行かなくて済むのにと本気で思っていました。

 

そういう環境に身を置いたゆえに私の高校時代は「女子高生」という言葉とかけ離れていました。
ルーズソックス?なにそれ?甘いの?くらい別の世界。


でも思春期。人並みに好きな男の子だっていたけれど、当時は剣道のしすぎて筋肉質な体に、耳上5cmより伸ばしてはいけないと言われる超短髪の
まるで男の子みたいな外見で、女の子らしい言動なんて恥ずかしくてできませんでした。
それゆえに男友達のノリでしか話せない。好きな男の子がいても、「お前ぜったい性別間違えて生まれたよな」とか言われて「うるせーばーか」みたいな会話しかできない。
今思えば、ブスでいなくちゃ怖い時代でした。


「女の子らしくしようとして笑われたくない。」
「可愛い恰好なんてしたらコスプレにしかならない。」

頑張って、可愛くなろうとすることが恥ずかしい、だから男らしく振舞って、からかわれる形でも、それで自分の居場所が出来るならいいやと思っていました。

それが、20歳を過ぎてファッション、メイク、ヘアスタイルを一気に変えたことから大きく変わったわけですが、その経験があるから私はブスを語れる気がします。


ブスっていうのは外見の作りが問題じゃないんです。
目が小さいとか一重とか顔が大きいとかスタイルが悪いとか、そんなの全然関係ない。

そういう作りをブスと言う人がいるなら、それはそうやって言う人の方が心のブスです。

ブスって僻み、妬み、諦め、妥協、総じて自己肯定感の低さ。そういった負の感情が生み出す醜さを指すのです。

 

20歳を迎えるまでの、外見のコンプレックスが強かった時代の私は、世の可愛い子に対してどこか卑屈でした。
生まれ持った作りの良さ、スタイルの良さで得している人たちだと思って、狡いとか羨ましいとか思っていました。
「どうせ、〇〇ちゃんみたいになれないし」と悲観的な捉え方をしていました。

でも今になれば、努力も何もしない自分を棚に上げて羨んでばっかりだったと思います。

昔、ある本に「自分の見た目や環境は自分自身の選んだ結果」というフレーズがあって、すごく心に刺さったのですが、本当にその通りで。
高校時代の私は、自分が望んで男らしく振舞い、その結果、男のように扱われていたんですよね。

女性としての努力を放棄して、「だって私、そういうのじゃないから」って言い訳して。
歩くときがに股だったり、人前でおかまいなく大きなくしゃみをしたり(笑)昔は「マジで?」「すげー」とか言葉遣いも男みたいでした。

でも、それって自分がしたくて、それが自然だったというより、そういうキャラクターを選ぶ自分に逃げていたんだと思います。

自分の抱える問題を、一言「だって私、ブスだから」って片付けていたんだなと。


生まれたときからの天然美人に比べると、私は紆余曲折だし、美容の努力も、一般的な美容家と比べると体育会系なやり方だけど
そんな私だから思うこと、語れることがあるんだなと思います。


ちなみに、、
10代はたしかに先天性美人という何の努力をせずとも綺麗で可愛い子達が存在するのですが、20代を過ぎると段々と努力型の後天性美人が目立ち始めます。
そして30代になると内面がだんだんと外見に影響してくるように感じます。

顔や体の作りで「ブス」はないといったけれど、ひょっとすると30代以降は心や意識のあり方が顔などの「見た目」に出てくるのかもしれません。
その結果の良しあしが「美人」や「ブス」という言葉になるのかも。

 

そう思うとここからが本当の勝負どころなのではないか。

美しさは健全で前向きな心にこそ宿るものだと思うのです。
紆余曲折の色んな経験から、自分なりの「知ってるからこそ語れること」「気づけること」を大切にしたいと思うこのごろです。