人生の素晴らしさは本気で生きた時間の質と量で決まる。

自分はこう思う、という考えがあるから「生き方」があります。私にとって、自分の意見を持ち明確な言葉にする事は、自分の「生き方」や「在り方」を見つめ直す作業です。誤解される事もあるかもしれないけれど、恐れず真っ直ぐ発信し続けたいです。

母性は神話。

正直いうと、実際に産んでみた結果、母性なんて神話だと思いました。

妊娠するまでぼんやりと、赤ちゃんを産んだら自動的に自己犠牲を厭わない愛情が生まれて、育児が出来るんじゃないかと考えていたけれど、実際はそんなことありませんでした。
 
生まれた瞬間は「本当にいたんだ!」って感動があって、「やっと出会えたんだ」ってすごく嬉しかったけど、その後に待ち受けていた新生児のお世話は想像以上でした。
 
めちゃ泣く、授乳痛い、赤ちゃん可愛い、愛しい。けど、やっぱり辛い。大変。しんどい。不安。
あー、でも可愛い。幸せ。あー眠い。
 
そんな感じで色んな感情がぐるぐるまわってました。
あまりにも脆く危うい命を目の前にして
 
責任
 
って言葉が、これでもか!ってくらい重くのしかかってきました。
 
思い返せば女性って妊娠してから、人生切り替わりスイッチが入るんですよね。
 
妊娠初期は胎動もないから、ほんとに育っているのか心配で、検診に行って元気な心音を聞くとホッとして目がうるみました。
振動はよくないから自転車はダメ、転ぶと危ないからヒールもダメ。重い荷物も控える日々。
 
安定期に入って体型がどんどん妊婦さんになっていく。
いつもなら目の前で電車が発車しそうになれば全力疾走だったけど、この時期は走らず我慢。
食べ物もノンカフェイン必須で、トキソプラズマ対策で海外のチーズや生肉を控え、マグロや鰻も食べ過ぎないようにと気をつけてました。
 
妊娠後期になると動くのが大変で床に座ると起き上がるのが一仕事。
容赦ない胎動に「おお」となるし、たまに言葉通りに痛いところを突かれて呻く。
寝てるときもお腹がウゴウゴして起こされるから「おーい、ねんねだよー。ねんねしてくれー」って語りかけたり、聴こえてるのかな?って子守唄歌ってみたり。
 
精神面では、妊娠期間中は不安や心細さに苛まれました。いつもなら何があろうと前向きなのに、この期間はコントロールが難しかった。
たぶん人生で1番心が不安定になるのが妊娠なんだと思う。
そういう変化を思い起こすと、妊娠は心身の全てが赤ちゃんを産むことにベクトルを向けるんだなと実感しました。
 
けれど、身体の凄まじい変化にどこかで心が追いつかなかったり、出産ってどれくらい痛いんだろう?とか、そもそも無事に元気な赤ちゃんが産めるのだろうか?みたいな不安が大きくて、初めて乗るジェットコースターがえらく高いところまで登っていって「うわー、うわー」みたいな感覚にどちらかといえば似ていた気がします。
 
そして生まれてから、まるでジェットコースターの落下みたいな急加速で始まった育児。時間があるようでない、ないようであるという何とも複雑な環境に身を置いています。
 

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そんなこんなで、あと少しで息子は3ヶ月。
 
命って、なんなんだろう
この子はどこからきたんだろうか
 
そんな事を今はよく考えます。
 
物理的には私のお腹に宿り、育って出てきた存在だけど、命ってそういう理屈を超えた存在だと思うのです。
 
たった数ヶ月前までお腹にいた「人」がここにいて、この子は私と違う人格を持っていて、巣立つ時までずっと一緒なんだって思うと不思議な気持ちになります。
 
育児は不安しかないけれど、母親って不思議なもので、この子が笑って元気に育てばそれだけで最高に幸せなんですよね。
腰や肩が痛かろうと、泣き止まずに途方にくれようと、ニコニコっと笑ってくれたら結構回復するもので、よくできたもんだと思います。
 
母性はもともと備わってるものじゃないし、舞い降りてくるものでもない。
 
ただ、この大変な毎日の中で少しずつ芽生えていく、温かくて優しい気持ちが母性で、これから先、子どもの成長と一緒に育っていくものなのかも?と思います。
 
育児は自動的に出来るようにならないし、手探りの日々だけど、だからこそ愛しい、そんなこの頃です。