婚外子や同性婚の是非
この問題について語るには私には知識がそこまでないので悩んだけれど、デリケートな問題だと捉えることがそもそも違うと思いました。
そして最近「結婚」に対して色々と考えるので、私なりの考えを綴ります。
先日、デヴィ夫人が番組で「同性愛者は結婚をするべきではない」という発言をし、物議を醸し出したそうです。
同性愛は認めるけど、結婚は子孫を残すためにするもの。
実際の番組を見ていないので、報じられている内容で解釈するしかありませんが、私はこの意見は否定派です。
その理由として、婚姻は社会において沿い合わせる者同士の立場や権利を守るためのものであり、男女が子孫を残すことの前提条件ではないからです。
そして、私はむしろ逆に子孫を残すことに結婚が必要ない社会になっていったほうがいいと感じています。
紗栄子が二児のシングルマザーでありながらZOZOTOWNの前澤社長と恋人関係にあり、前澤社長自身には婚外子がいて、菊川怜の結婚も同様。
私は男が誠意を持って、子供の心のケアや母親が育児し生活する上での金銭的な責任を果たすのであれば婚外子もいいと思っています。(その責任を放棄する男は論外)
少子高齢化のご時世にも関わらず、女性が子どもを産むために結婚を前提とするから、婚活に必死になって苦しんだり、出産適齢期に悩む問題が起こっていると感じます。
人口減少が危機的な今の日本において、女性が子供を産む事が優先されるべきなのは火を見るよりも明らかだし、フランスのように結婚の有無に関わらず国全体が子どもを育てていくようになれば多くの人が精神的・肉体的に救わることでしょう。
ただ、現実問題として今の日本で子孫を残すなら出来れば結婚した方がいいと思います。婚姻関係にあることで法の縛りをもって、パートナーの無責任な行動(不貞や悪質な遺棄)を抑制したり、配偶者としての権利を主張できます。
子供の養育費しか請求できない婚外子はリスクが大きいのです。
私自身、結婚したことで、配偶者として守られる立場や権利がある事を知りました。
そして、婚姻制度について考えた結果、同性婚に対して思うことがありました。
私の知り得る限り、同性婚は世間の女子がキラキラ憧れる結婚に比べると、すごく現実的な世界だと思います。
なぜなら家族としての権利を得られるかどうかがかかっているからです。
下記に同性愛者に対する日本の法的な差別を転用します。
”同性カップルやそこで育てられる子どもたちは、結婚した家族に与えられる法的保護、税や社会保障上の権利や給付から排除されている。
パートナーの子どもを保育園に迎えに行っても実の親だと認められず子どもを返してもらえない。
パートナーや子どもが病気になっても介護休暇を取得することができず、家族として健康保険でカバーもされない。
長年助け合い連れ添ったパートナーに先立たれても、死亡退職金は支給されず二人で築いた財産の相続も認められない。
親族から葬儀への参列を拒否される場合もある。
パートナー名義で契約していた賃貸住宅は継承権がないので退去するよう迫られる。
同性カップルやそこで育てられる子どもたちは、安定した家族関係を維持することすらできず、家族が亡くなった際にはさらに深刻な労苦を強いられているのである。
なお、事実婚も同性カップルには認められていない。
何より、結婚という人間・社会にとって最も大切な法制度から同性愛者を排除している現状は、同性愛者に対する法律上の差別であると言うべきである。
法の下の平等は、人類の文明が近代に到達した普遍的な公理であるはずだが、法律自体が不平等を認めてしまっている現状では、同性愛者に対する社会的な差別や偏見をなくすことは論理的に不可能である。”(なぜ同性婚? | EMA日本より抜粋)
社会全体が「色々な家族の形」を受け入れなければ婚姻制度どころか日本が破綻する気がします。
虐待して子どもを死なせる鬼畜がいる事を考えれば、高齢で子どもを諦めざる得ない夫婦やLGBTのカップルが里親として子どもを引き取って育てることが一般的になってほしいです。
「作る」「生む」が出来なくとも「育てる」はできるし、代理出産のように男女間の愛と切り離した出産だってあっていいと思います。
血の繋がりは尊いけれど、それだけで子どもは育たないし、深い愛情は時として血の繋がりを超えます。
大切なのは、その命にどれだけの責任を負えるか、自分の全てを賭けて幸せにできるかどうかです。
生まれたばかりの子どもにとって親が世界そのもので、全てです。
愛情を与えて真剣に向き合えば、不幸になることは絶対にありません。
婚外子に対する法的なケアは勿論、同性婚に対しても、もっと社会が理解を示し、男女のそれと同様の権利が与えられることを願っています。
母性は神話。
正直いうと、実際に産んでみた結果、母性なんて神話だと思いました。
さよならアメブロ
実は7年続けてたアメブロをひっそりと退会しました。
起業する前の、匿名の頃からずっと書き連ねてたブログ。
起業の「き」の字も分からない頃、都内に知り合いなんて10人もいなかった時代からずーっと続けてた私の軌跡でした。
漫画喫茶を転々としたこと、お金の稼げないストレスで円形脱毛症になったこと。
学生さんを集めてファッションショーを開いたこと、フリマイベント、マナビジョ、思いつくままに色んな企画をやってみて試行錯誤の繰り返しでした。
サンケイリビングやワコールとのお仕事、初めての出張、結婚。
ほんと、色んな事を書き綴ってきたなーと感慨深いです。
素直に書いていたから、若さゆえの偏った考え方や見栄も発信してきた青い恥ずかしさもあるブログ。
でも、ズルせず一歩一歩、自分の仕事を作ってきた証拠でもある誇らしいブログ。
3年前に綴ったことが後になって、やっぱり違ったなーと思えば、そういうことも素直に書いてました。
ただ芯は一本、外見から内面の自信が生まれる。だから、シンデレラプランニングを多くの方に知ってもらい広げていきたい。
これだけは一貫してました。
その結果、共感した読者さんがずっとついていてくれて、会いに来たり、お客様としてサービスを受けてくれたり。
つたないなりに思いの丈を綴ることが私にたくさんの出会いを与えてくれました。
そんな大事なブログをなぜ退会したのかというと、過去の記事に対してすごく敵意を向ける人たちがいて、自分の中でなんとも言えないモヤッと感を感じていたからです。
前提として、私は私のことを嫌いな人は嫌ってくれて構わないと思っています。
もともと万人に好かれようと思っていないし、私を好きになってくれる人がいれば、逆に嫌う人もいて当然だと思っています。
ただ、その嫌いの感情が嫌がらせ行為になってしまう人に対しては、その人自身のためにやめた方がいいと思う程度です。
私がモヤっとした大きな原因は7年前に自分の書いていた事に対しての過剰な攻撃でした。
当たり前だけど、人は歳とともに色んな経験を重ねます。
価値観は不変でなく、人生のフェーズごとに変わるものです。
7年前は、私にとってCancam系の外見を取り繕うことが「可愛い」で、「女の子を幸せにするのはモテること」だと思っていました。
すべての女性が努力をして自分なりの100%のキレイを目指して頑張れば、今より絶対にキレイになれる。 他人でなく過去の自分と今の自分を比べ頑張る方がずっとポジティブだと発信してきました。
しかし、昔のブログ記事が残っていることで、私がまるで現在進行形で見た目至上主義のモテを意識した女子のような誤解を受けて、すごい敵対心を向けられてしまい、びっくりしました。
入籍したとたん謎の女性達から総攻撃を受け、ぽかーんとしました。
いや、わたし自分のことそこまで綺麗って思ってないから。
と思うけど、相手にとってその記事を読んだ瞬間が「今」なんですよね。
そのタイムラグに悩み、過去のブログは消すことにしました。
一時期は10万pvまでいっていたブログなので、惜しい気持ちはあったんですけどね。
でも昔のわたしが感じていたことはログとして残して想い出にして、またここから新しい私を綴ればいいのかなと思います。
そもそも長い文章を書きにくい時点でアメブロは相性よくなかったしね。
私は哲学的なことを悶々と考えて書くのが結構好きだから、それだと「はてぶ」の方が相性いいのかもとも思ってます。
そんなこんなでこちらに引っ越し!
過去の記事は反響あったものを今後、たまに引っ張り出すかもです。
そしてどうでもいいけど、私の当面の目標は産後の体型戻し!
30歳の記念で撮ったこの状態に戻るぞー!!!( ゚Д゚)
知識も経験もないより、あった方がいい。
最近、色んな場面で「面倒と断らずにやって良かった」と思うことがあります。
今、メイクの仲間と一緒に88診断をベースとしたメイク動画を作成しているのですが、制作は私がやっています。
高度なテクニックが必要なほどのクオリティは目指しておらず、メイクレッスンに参加した方々が家で教わったことを再現できることが目的です。
22種類作るので、とても労力がかかりますが、完成すればシンデレラプランニングにとって大きな武器となると信じて、せっせと作っています。
高クオリティは求めなくても、動画を編集する必要性はあり、しかもその数が多い。
普通に考えるとなかなかの手間です。
とはいえ、私の仕事はシンデレラプランニングの運営管理全般。
営業、財務、顧客対応、雑務は全て私の仕事です。
この立場は、まずは自分で出来ることを何でもやる、という姿勢がないと務まりません。
なので、この動画作りも当然私のお仕事になるわけです。
でも、この動画を作る作業、昔、バイト仲間の結婚式の二次会で動画を作った経験のおかげでそこまで大きな負担とならずに済んでいます。
その時作ったものは動画と動画をつなぎ合わせるだけでなく、吹き替えの声を入れたり、BGMを流したりと色んな編集があったので、今回のメイク動画はそれよりずっと簡単です。
作成してる最中にパソコンの処理が止まって、作った動画が途中でパーになる苦しさも経験しているので、都度都度バックアップを取りながら作成するという効率の良さも発揮しています。笑
でも、思えばこの二次会の動画作り。
当時、バイト仲間で「誰が作る?」という話になったとき、全員が「動画は作ったことないから分からない」と首を横に振ったとき、「だったら私"作ってみる"よ」と名乗り出て作ったものでした。
動画編集のやり方を調べて、撮影して、編集やってみて。音楽のCD借りて、音声の録音もして....
正直、めちゃくちゃ時間がかかったし、録音するために集まった会では、みんな飲み始めて、一人作業しながら「なんで私こんなに時間かけて動画作ってるんだろう」と虚しさを感じたりして、こういうのを引き受けてしまう自分を悔やむ気持ちもあったけれど、でも完成してみればみんな喜んでくれ、嬉しかった思い出です。
で、その時の知識や苦戦した経験が、今になってこうやって仕事に役立つんだから有難いものです。
そういえば、私はパワポやらExcelやらも使える方なのですが、これも在学中に宿題をやってこない同級生の分を引き受けていた経緯があります。
私は単純にOS作業が好きだったので授業は毎度、一番最初に制作物を提出して教室を後にしていたのですが、不得意な友人はどうにも苦戦していたようで「愛ちゃんの課題をコピーしたい」とお願いしてきました。
無下にするのも気が引けたので「全く同じ内容じゃあからさますぎるでしょ」と内容を変えて、その子の分の課題も制作してあげていました。
(その行為の良し悪しはあると思うけれど)結果的に今、サクサクOS処理ができるのは当時の友達のおかげかもしれない。
誰でも余計なことはしたくないし、出来ないことを1から調べてやるのは大変です。
でも、1から調べて5までやった経験は、その後、5から自分に積み重ねていけると思います。
あの時、「動画は作れない」「OSはわからない」といった子達は今もこれから先も作れないままです。
他に出来る人がいるなら、やってもらうにこしたことはないし、コストパフォーマンスの天秤もあるけれど、今何かを模索していて「時間はあるけれどやることがない」という人は、こういう面倒を引き受けてみるといいんじゃないかと思います。
面倒な作業、1から調べなくちゃいけないことを避けず、面倒くさがらずにこなしてみることで、自分の出来る幅は確実に広がります。
もちろんその領域でプロを目指す人とは全く違うベクトルだし、特に役立つ日が来ない可能性もあるけれど、でも知識も経験も「あって困るものではない」と思うこのごろです。